つれづれなるままに…

つれづれなるままに…

「つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

これは『徒然草』の冒頭の一文だ。鎌倉時代の吉田兼好という人が、これといって用もなく一日中机に向かい、頭に浮かんだことを順序も気にせずに書き綴っていったら、なんだか妙に落ち着かない気分になった、という意味の文章。今でいう随筆、つまりエッセイの元祖のような本だ。

内容は驚くほど雑多で、人生観、恋愛、自然、無常観、時にはただの愚痴のようなものまで並んでいる。テーマもオチも決めずに、思いついたことを書く。今日はそのやり方に倣って、髪を染めるという行為について、思いつくまま書いてみる。

日本で最初に髪を染めた人物

日本で最初に髪染めをした記録として残っているのは、平安時代末期の武将、斎藤実盛だ。木曽義仲を追討するため北陸へ出陣した実盛は、加賀国篠原の戦いで討ち死にする。この時すでに老将だった実盛は、白髪のままでは侮られると考え、墨で白髪を黒く染めて戦場に向かったという。討ち取られた首を洗ってみると、みるみる白髪に戻っていき、それで初めて実盛本人だとわかった、と『平家物語』に記されている。当時使われていたのは墨、つまり鉱物性の顔料だ。植物染料でも化学染料でもない。これが日本最古の染毛の記録とされている。

老いてなお若々しくありたい、侮られたくない、最後まで自分らしく戦いたい。実盛の行動の動機はそういうものだったのだろう。今の白髪染めと、根っこの部分はそれほど変わらない気がする。隠す文化として続いてきたもの。平安貴族の間では紅花や鉄漿(かね)を使って髪や歯を染める習慣があり、黒髪を保つことが若さと美の象徴とされていた。この価値観は江戸時代に入っても続き、お歯黒と並んで髪を黒く保つ文化が庶民にも広がっていく。

つまり、白髪を隠すという行為は、千年近く前からずっと続いている。しかも動機は今とほとんど同じで、「若く見られたい」「老いを他人に悟られたくない」というものだ。時代が変わっても、人の気持ちはあまり変わっていない。

昭和・平成を経て、令和の白髪染め事情

化学染料による本格的な白髪染めが登場するのは近代に入ってからだ。1907年にロレアルの創業者がパラフェニレンジアミン(PPD)を使った染毛剤を開発し、それが今のヘアカラー剤の基礎になっている。ドラッグストアに並ぶ白髪染めの多くは、この系統の技術の延長線上にある。早く染まる、色がしっかり入る、値段も手頃。便利ではあるけれど、繰り返し使ううちに頭皮や髪への負担を感じ始める人は多い。50代、60代、70代と年齢を重ねてくると、若い頃と同じ感覚では使えなくなってくる。かゆみが出る、髪がぱさつく、染めるたびに疲れる。そういう声をよく聞く。隠すことには成功しても、髪や頭皮の状態は正直に年齢を映してくる。ここに、今の時代特有の悩みがある。

ヘナという選択肢

一方でヘナは、化学染料よりもずっと古くから人類が使ってきた染料だ。エジプトのクレオパトラも使っていたという説があるくらい歴史は長い。植物の葉を乾燥させて粉にしたもので、染料としての仕組みも化学染毛剤とはまったく違う。ヘナが選ばれる理由は、単に「自然だから」ということだけではない。長年化学染料を使ってきた人が、年齢を重ねる中で「そろそろ髪への負担を減らしたい」と考え始めたタイミングで出会う染料、という側面が大きい。隠すことを目的にした染毛から、髪そのものを労わる染毛への切り替え。これが今の50代以降の女性たちの間で起きている変化だと思う。

斎藤実盛が墨で髪を染めてから約840年。染料も方法も変わったが、「自分らしくありたい」という気持ちの部分は変わっていない。ただ、その手段として何を選ぶかは、時代とともに広がってきた。

終わりに

兼好法師は、思いつくままに書き綴った文章に対して「あやしうこそものぐるほしけれ(妙に落ち着かない気分になる)」と書いた。何かを書き記すという行為は、案外自分の中を整理する作業でもある。髪をどう染めるか、何を使うか。これも同じで、一度立ち止まって考えてみると、案外自分が本当に求めているものが見えてくる。隠すためだけの染毛から、髪と自分を労わる染毛へ。そのきっかけになれば、と思ってこの文章を書いてみました。

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